めにょーん

ペンギンなりに色々考えてみる

眼底検査をうけてみた

まもなくアラサーからサーになるみょんです。

先日同い年の友人の目に疾患が見つかったそうで、端くれながらデザイナーとしてごはん食べてる我としては大変ブルった(ちょうど糖尿病への不安も相まっていた頃だった)ので、近くで眼底検査やってくれる眼科にメンテ検診いってきました。

 

もうちょい詳しく背景を説明すると、アトピー性皮膚炎があり、服用ステロイドはしてないものの何となく緑内障なるんちゃうか!?みたいな懸念と、血糖値、内臓脂肪、食生活から鑑みて糖尿病になる可能性もあり(なんならもうなってんちゃうか)白内障のリスクファクターめじろ押しなうえ前回メガネ作ったときに視力検査してくれた眼鏡屋のねーちゃんが「度数上げても0.8以上にならない・・・・・・眼科行ったほうがいいですよ・・・・・・。」と深刻に告げてきたので調べてもらっておこう、という魂胆です。

 

私は大カテゴリ医療フェチのなかでも医療行為、検診、ドックも守備範囲でして、とりわけ、いがくのちからでじんたいすげー!ってなるのが好きでして、逆に取り返しのつかないものを引き換えにしたり、じわじわダメージを引きずるようなのは好きじゃありません。眼底検査は私の中では前者なので結構楽しみにして行きました。

 

診察→検査→診察の流れで、最初の診察でアレルギー性結膜炎なら目薬さそうね〜といわれつつ眼底検査について、検査後半日くらいは見えづらくなるから運転しないで下さいとのこと。

この見えづらくなる、が実際どんなもんか分からないところに期待が高まります。

続いて検査スペースへうつり、よくある眼圧やら視力やらの検査をしてもらい、ついに眼底検査のための散瞳薬点眼へ!この点眼薬の名前はわからないんですが、これによって瞳の調節機能が一時的に麻痺し、瞳孔が大きく開くことで目の奥の広い範囲を調べられるようになるわけですね〜。はえー。

30分くらいしたら検査始めるとのことで、それまで雑誌読んだりスマホ触ったりしていいですよ!といわれたんですが、えっ瞳孔開くならスマホの光をガバガバで通すってことになりません?とひよって大人しく待機していました。

 

30分後。変わった感じはない・・・・・・。検査のスタッフさんに「ぼーっとしてきた?」と聞かれるも「いえ、なにも・・・・・・」とそんなことになるん?とキョドっていたら小さいライトでさっと瞳を確認してくれて、確かに変わってないわね〜若いからかしら、と追い点眼もらいました。

でも検査は可能とのことで、目の撮影へ。(このフェーズは別に楽しくない)

いろんな角度からの撮影と、あとなんかやたら強いフラッシュの撮影で、撮影といっても機器の素人目には顎のせてデコつけるいつものアレです。フラッシュはさすがに一瞬視力持っていかれた。

 

検査結果の診察でフィルム見せてもらって説明受けたんですが、自分の眼球内というか視神経こうなってんだなー、教科書と一緒に授業で使う図録で見たことある感じのやつだな〜という特にあまり感動がない感じでした。

なんでも近視のひとは視神経が真っ直ぐじゃなく斜めに倒れてるそうなんですが、私も例に漏れず、さらに一部の近視の人に起こる部分的に網膜がちょっと薄いとこあるとかで、たしかにそこ色薄いッスね!めっちゃ視神経集まってるとこの側っすね!て感じで、「30、40代になったら緑内障みたいに視野に問題でることあるから定期的に検査してみて」とアドバイス貰ったんですがなるほど30歳になる年にその助言ということは30歳ジャストは30代でもまだ油断していい段階ってことですかね。ていうかぶっちゃけその目的できたんですけどね今日ね。

 

ちなみにメガネかけても0.8より上がらんぞ問題については「1.2と1.0でてたわよ、なんかの間違いじゃない?」と一蹴され、おいおいなんか起こるかもだけどまあアレルギー性結膜炎以外特にないからとりあえず目薬でもさしとけや。で終わりました。何か起きる前でよかったね〜

 

お会計で処方箋もらう時になってようやく目が見えづらくなるが発動しました。

手元に近づくほどぼやけて、遠くの方は眼鏡で矯正されてるいつもの感じで見えるという感覚です。

こ、これが老眼の気持ち!?となりつつモノを遠ざけて目を凝らす感じのなんとはないツラさ。あと晴れてたのでアスファルトの照り返しがギラついてて足早に帰りました。完全やる気をなくしたのでお昼を出前にしたんですが、真っ暗な部屋で半目になってる女が出てくるのそこそこな闇客オーラを放ったと思います。

閃輝暗点の経験上、こういう視力問題は目を使うほど消耗するので昼寝に越したことないや〜と横になってスマホのアラームかけようとしたらなんと!メガネかけて手元みるとぼやけるのにメガネ外すとくっきり文字見えるんですよ!あ、ちなみに裸眼0.1とかそんなんなんで、いつもはメガネなしだとスマホの文字ぼやけます。がんばれピント調節機能〜!と思いつつ2時間くらい寝たら視力確変タイム終わってました。何もこんなとこで自然治癒力発揮せんでも…。

 

おめめ、歯同様なんかあってから医者に行くんじゃなくて自分で健康だと思ってるときにも定期的にメンテいきましょうね。検査楽しいよ

30歳になるとなにか聞き分けがつくのか

結婚観を聞かれることが数件あったので自分の話します。

冬が始まるまでは20代ですけど、少しフライングして、大人なんてクソだという歳下の方達にクソバイスをするならば20代になっても30を迎えても周りの目線も価値観も大概クソです。当たり前だろう、人類が何人いると思ってんだ?全人類に嫌われることも好かれることも、おおよそ1人の人間のちからには手に余る。そんなことならクソなんかのこと考えて消耗するより手の届く範囲の好きな人間たちと自分が幸せにいることに費やした方がいい。

 

私はいわゆる虐待サバイバーであり、とはいえ当事者的に殴られたり嬲られたり詰られたりしたわけではなく、家庭内の決してよろしくない圧政を見てきたことにより外への抑圧をもってしまった「虐待行為を見せる虐待」のサバイバーである。とはいえ100点のテストを持って帰ったら教師の採点ミスで98だったのを100に修正したことについてのやっかみが返ってくるといったとてもありがちなシナリオも経験している。が、そんなことよりも家の壁やらふすまが壊れたり、兄やら母やらがボコられているほうがよっぽど精神的ダメージがあったのであった。

もっとも、他人を信じるだとかは難題になったものの、アダルトチルドレン的な俯瞰をしていた私は、父にも母にも複雑な事情はあって、彼らを育てた祖父祖母の幼少時代には戦争があって、誰もが人間である以上仕方のないことなのだと思っていたし、あまつさえ土地がスラム治安だったこともあって、どこの家も家族がキレて暴れるくらいあるだろうと思っていた。

 

今後の婚活に関わるのでここだけははっきりさせておくが、発達心理学という学問において、人間の心理というのは死ぬまで発達段階を辿る。その年齢相応の課題があって、悩みがある。いわゆる中二病なんかも雑にそういうものだといえるし、30代くらいから突然20代の若者に先輩風を吹かせるのも、老人が自分の考えをなかなか曲げないのも、発達上そういうもんなのである。

その例に漏れず、父親はとっくの昔に丸くなっている。父親が昭和価値観で親父の威厳たるものを履き違えていたことも知っている。母親はいまだに私を動くコンテンツ人形と思っているのではないか、とおもう節がなくもないが、恐らく私と同等かそれ以上に放任主義なだけなのであろうし、家族に対して私自身はなんのわだかまりもない。むしろ私含めうちの家族は、身内以外に関して本当に無邪気で好意的に歓迎する。本気で見返りを求めていないアホほどのお人好しである。ただし私、父、兄、亡き祖父は人見知りオプションつきではあるが。つまり私が良い人です!と連れていくと祖母と母にめちゃくちゃモフられる。

 

そのような事情のもとで、幼少の私はなぜ父が覇権を持っているのかを考えた。末っ子で唯一の娘である私が最強だと思っていたのに、どうもそうではないのはなぜか。家計を支えているからだろうか。父が母よりいくつか歳上だからだろうか。おそらくそれらはあたらからずも遠からず、他人と他人のパワーバランスに不均衡を招き、好ましくないヒエラルキーを形成しかねないものなのである。

 

これまでの半生で、幾度か友人に「頼ってよ」と叱られる場面があった。いまでは反省して、貸し借りを気にしないような、あるいは頼り頼られ互いにまあトントンでしょ、よしんばトントンじゃなかったとしてもまあお前のこと大好きだから別に損したとか思わないしお前が幸せならいいよ、と本気で言い合える友人に関しては何かしら頼ったりはする。しかしそもそものスタートで他人を頼ることについて、相手が信頼に足らないからであるとか、貸し借りが発生することがしんどいと思うところがある。

ちなみに「私はこれだけしてやったのに、お前は返してくれないよな」って言われたこともあるし、他の人になにかしてもらったときに「今度別の形で返して」って言われると覚えておかなきゃ、失敗するわけにはいかない、のようなプレッシャーを感じてしまう。

 

前述の通り、うちの家系は自分が施したくて施すのであって礼やお返しを貰おうだの感謝してもらおうだのの発想がまるっきりないので、なんとなくそれが蔓延している社会だったらよかったのだが、世話になったら自分の気持ちがどうであれ相手にお礼を返さなければならないのが通念である。もーーーぶっちゃけめちゃくちゃめんどくさい。そういう返してっていう系は正直覚えてられないかもだし、相手にとっての正解を返せる自信もない。だから自分のこと自分でやるし、見返りが必要な感じなら尚更助けとかいらないんでほっといてほしい。

蛇足であるが、このアホなお人好しを食い潰しにかかる人間も世の中にはいることを学んでしまった。依然として施したくて施すが、それを当然のこととしてあぐらをかかれると腹が立つのであった。

 

そういうわけで社会通念的な支え合いなるもので力関係が構成されるような家庭はしんどいのかもなと思っている。お互いがお互いに合理的で対等かつ独立的な共存関係をもって、相手のためになんかしたいからするくらいの純粋な愛を与えたいくらいである。

それは家計をどちらかが多く負担するだとか、年齢の上下だとか、そんなくだらないことでどちらかがどちらかにマウント取るようなのは嫌だなという意味だ。2人共に関わる金銭は折半したいが、それ以外の自分のことは自分の稼いだ金で好きなようにやりたいしやってほしい。とはいえ相手のほうがより多く水を消費しているだのとか電気を使っているだのとか細かいことは気にならない。相手が結婚したいとおもう程度の人間であれば。

自分の稼いだお金で自分の好きなことやればいいじゃない、というのはもちろん1人でふらっと旅行に行くことも、友達と遊ぶことも、同人誌刷ることも、ガチャを回すことも自由でしょ、ということである。流石に他所に子どもをこさえてくるようなことはまずいが、そこは独身同様に人様に実害を与えてはならないことなど言うまでもないことである。あ、ちなみに私はAVもエロ本も勝手にすればいい派で、むしろ相手がいながら風俗を使わないのであればかなり良心的な人であるとすら思う。その実風俗自体も犯罪の抑止力であって労働者のことを英雄と思っている。素人に対して浮気や不倫するよりいいじゃんね。

家事についても大概の場合において私が埃で死ねるタイプなので私がやりたくて勝手にやるし、私が自分の部屋勝手に掃除されたら嫌なので、その範囲は自室と共有部分だけだ。というか同棲したことがあるが実際そうしていた。

余談だが同棲が終わった後に同性の同僚と一時的にルームシェアをしたが、金銭感覚と衛生観念と倫理観が見事に180度違い、耐えかねてギブアップした。私には私が納税したことで得られた返礼品を無償で提供されて然るべきと思える発想が理解できないし、私の私物のいい値段のする金属製調理器具を塩素系漂白剤のつけおき容器にしていいと思う発想がないし、洗面台をフェイスタオルで拭いて普通の洗濯と一緒に洗うってのもよくわからなかった。もしかしたら旧くからの親友なら許してたかもしれないが、生活があまりに違うと流石に一緒にいるのが難しいと知った。まあそれでも一緒にアニメみたりとか楽しいこともあった。

 

ここまでくると1人で生きた方がいいのでは?という気がするが、それでも誰かと家族になりたいのは、ただいまやおかえりいってきますとかの挨拶が返ってくるのがやはり良いし、その日あった面白いこととかどうでもいいこととかをお互い気が向いていれば話したいし、アニメもドラマもバラエティも一緒にあーだこーだいいながら見るのが楽しいし、ごはんも人のために作ったものはちゃんとしたものになって割と美味しく、当然人に作ってもらうごはんは尚更美味しいし、胃腸炎にかかって死にそうなときに最悪ヘルプを出せる相手が身近にいるのは心強いし、結婚というペアを組むことでオトクになる行政サービスもあるし、相手か自分のどちらかが恐らくは最期を見送れるからである。

 

なおこどもを産む意思の有無については、産む人生と産まない人生どっちでもいいが子ども自体は専門分野である程度には大好きだし人生の責任を1人でも負う覚悟も知識もある。持っててよかったね保育資格と実務経験🤗

 

おおむねそんなところで、また何か聞かれるようなことがあれば何か書くかも知れない

 

追記

冒頭に大体の周りの目線ってのはクソだよって書いた流れを繋げるのを忘れていたが、クソだと思っても当人にクソだな!と言うのはよろしくない。これは保育士してたときにもこどもの喧嘩の仲裁で都度都度教えてきたことであるが、世の中わかり合えない苦手な人間はいるものの、苦手だなって思う感情は大事に、それとは別になんとなくうまくやっていくのが人間の知恵や社会性というべきモノである。

したがって、パワーバランスが平坦な家庭が理想といったが、お外に出ればTPOにあわせて相手を立てるくらいは普通にやる。なんというか、これは昭和文化な気がするが、祖母が当たり前にこなしていたことなので普通に習得した。必要とあればペンギンから猫の皮に切り替えられるのである。

 

あと先にチラッと書いたが、うちの家族は全員基本は放任スタンスである。どれくらい放任かというとたまたま実家に帰ったタイミングの先週に兄が結婚していたことを知ったし、その実家に帰ったときに母親から翌月甥が生まれることを聞いた。めっちゃ笑った。これは長いこと一緒に暮らしてきたからわかるニュアンスであるが、身内がどうでもいいんじゃなくて、どっかで元気にやってるならそれでいいのである。義姉は丁寧な人だから、もしかすると母に育児日記的にシェアしているかもしれないが、兄はほぼ間違いなく自発的に身内の誰にも近況を報告してないし、私自身もどっかでよしなにやってるならいいやって感じである。ちなみに私が高校生の頃、わりと友人たちと夜中にカラオケいったりチャリで県超えて散歩に行ったりして朝帰ってくるとかあったが特段怒られたことはない。どうでもいいのか信頼してるからなのかはわからないが、痴呆の始まった祖父がチャリで出かけて行方不明なり、翌日くらいに兵庫県を横断する距離の位置で見つかったときには安堵もあったがパワフルなポテンシャルに皆爆笑した。そういう感じのユルさなので私の先祖側の人間たちに対して何か責任を負うとかいう考えは不要であるし、そもそも先手で父親が自身と母親祖母含め老後をどうにかする準備を整え切っている。

一方で私は祖母の基本ワンオペ+近隣から群がってきたおばちゃん各位に育てられたようなもんなので、こどももだがわりと老人も好きだったりする。ていうか向こうから好かれる。カリスマ孫みがあるのかもしれない。ので結婚するくらいに受け入れられる相手の家族を私は当然受け入れられるのであるからして、全然懸念材料にしなくていいとおもう。

またまた余談だが、大学時代にバイト先で同じだった友人の実家にちょいちょい遊びにいったら友人のおかんに気に入られてうちの子になれば〜とかいわれたこともある。まあそれもありだった気がするなあ。

にわとりの心臓をモミモミあらいしました

このエントリにはセンシティブな内容がふくまれ!ます!!あと普通にシモい

 

fetiquetteでざいなのみょんです。

今日は教子たちの卒園式  だったんですがアレによって来賓禁止です><されてしまい、運命に導かれるまま

fetiquette.io

のほうに手伝いにいってました。いつもいるけどあんまり役に立ってないよ。

 

 

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2019年fetiquetteイベントフライヤーまとめ

こんにちは。fetiquette デザインの人みょんです。

fetiquetteのデザイナーやってます。っていうと大体みなさんWEBの方を想像してくださるんですが、2019年12月現在のWEBデザインって私がfetiquetteに携わる以前に別の中の人が用意したテンプレートデザインなんです。なので私がWEBのUIでやったことってフォントを性癖に差し替えたりキーウィ置いたりしたくらいです。じゃあ何してたのかっていうと主に表題です。

 

WEB文化のアドベントカレンダーは一年の総まとめ・振り返りの機会でもあります。知らんけど。

 

というわけで2019年にfetiquetteが開催したイベントのフライヤーもといわたしのフェチズム好き勝手だだ漏らしの総まとめです!

結構つくったつもりだったけどあんまりなかった

 

急ぎの人用もくじ

 

助けてください。

総振り返りの前にまずクレクレします。

fetiquetteイベントフライヤーは先述の通り、私のフェチズムで好き勝手にやってます、が。

 

フライヤーのモデルはすべて私か代表のHImmeliさんです。

 

つらい、めっちゃつらい。圧倒的予算!圧倒的自給自足!

お察しのよい紳士淑女の皆様ならもうみなまで言わずとも愚生の浅ましい考えなどお見通しのことかと存じますが、恥も憚りもなく直球で申し上げますと素材をお恵みください。

なにか……なにかの謝礼を捻出いたします……何卒……何卒ご助力いただけますと僥倖にございます……。自分素材ほど萎えるものはない……

もしお力添え願えますようでしたら愚生のtwitter,https://twitter.com/myon_nyon_myonmまでまずはお声がけいただけますと幸いでございます!

 

 

フェチを語る会vol1-2

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というわけで記念すべき?fetiquette主催初イベントのフライヤーです。

もちろんモデルも撮影もデザインもわたしだ。

ちょうど令和になってくれたタイミングのおかげで元年を縦書きで組めたのもフェチポイントです。

DTPど素人のつらみはさておき初手にはゼッタイに外せなかった、結婚したいフォントであるところの筑紫ファミリーよりB丸ゴちゃんです。a~~~~~~!B丸ゴのおかげで耐えているまである。

アンティークでエチケットな喫茶のイメージです。アイスにウェハースとさくらんぼついてるやつ。あっこれも性癖です。

 

このストッキング、縦のラインが細かくレース編みになっていて、足の縦ラインの造形を強調するデザインなのに下品に見えずめちゃくちゃフェチいのです。

脚フェチとしての狙いは左くるぶし。つらみDTPのせいで文字被ってますが右足とタイトルを白くすることで私の脚推しパーツであるふくらはぎライン→くるぶしの骨ラインに重心を寄せて視線誘導をねら……えていますかね……そういうつもりです……

 

この時の脚のコンディションは自給自足ギリいけるラインなのでよいのですが、惜しいのが外反母趾じゃないんですよ。内反小趾は結構好きな状態なのですがいかんせんパンプス苦手のために外反母趾レベルが全然足りない。もっとこう内に曲がっているのがフェチでして。内反かつ外反の方、ぜひおみ足をください。

 

フェチグッズの持ち寄り会

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もう読ませる気のないテキスト。

これは心音、医療、病弱フェチを盛り込みました。

 

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↑理想形はこれ。

この色調と空気感をやりたかったんですが、もろもろの都合(印刷費とか時間とか)で上のデザインになりました。

 

二又チューブで耳管が二人分ある聴診器を使って、顔と生命感がないモデル(理想)が心音を共有するみたいなのがやりたかったんです。やりたかったんですよ。

セルフタイマーと高低差の限界に挑んだんですが二人ともがイヤーピースはめてるのがわかりつつ顔が見えないって構図にかなり無理がありましておかげさまでフライヤーではフォトショッププチ整形キメましたモアイかな????

 

私のでざいんぢからがアレなだけで理想形のほうの言わんとすること結構わかってくれる人いそうな気がするんですがどうですかねこれ、この世界観。これリベンジしたいな。

 

フェチを語る会Vol.3-4

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あっ第4回まだ開催してないな……?

手袋と手です!テイク50くらい撮りました。というか手袋着脱してもらっているところを連写10ターンほどしました。普通に着脱するとこの両手の角度にはならないので、つまりそういうことです注文うるさくてごめんな。あーでも左手の中指もっとまっすぐ伸ばして欲しい

 

どのフライヤーも、もちろん今後制作するものもそうなんですが、fetiquette主催を冠する以上はエロスはあっても絶対エロくはしたくないっていう矜恃があって、手首の露出具合にかなり悩みました。

とはいえ手袋自体がもうエロいもんなむずいよな。

 

総括

もっとでぃーてぃーぴーぢからがんばります。DTPそのものもフェチいものだと思うのですよ。ほんと過去作みるのって苦行です。

それとは別で私が撮りたいフェチ構図はまだまだあるので、撮影表現力も磨いていきたい所存ですあっもしモデルしていただける方おられましたら愚生のtwi

 

お付き合いありがとうございました!

フェチと死に焦がれるエロスとアートに関する考察

こんにちは。fetiquette ChottoDesign-shiteruObasanのみょんです。

すきなアイスはチョコモナカジャンボです。チョコモナカジャンボ以外も好きです。

ごりっごりに言葉遣いがまずいので打たれ弱い人は気をつけてね

この記事はfetiquette Advent Calendar | fetiquetteによせて書いています。

 

まず誰やねん あといろいろここでの言葉の定義

わいはみょん、プロペンギンみょんや!

アートをうんたらかんたらをこれから語らんとするのでオトメの矜恃として、経歴をさくっと紹介しますと関西のどこぞの美大でこどもを専攻していました。もはや学科までリークしているようなもんや。というわけで学士課程並のびじゅつちからと現場経験2年なみの保育士ちからがある感じです。具体的にいうと発達心理学とかがわかるよ。

ほんまにデザイナーか?っていうくらいはてブの記事レイアウトに無頓着ですけど、別の会社で本職としてWEBデザイナーしているのでいろいろ察してあげてください。

今回ここで語るフェチの定義

FAQ | fetiquetteに書いてある通り

特定の身体の部位や、物品、状況、音響や感覚、雰囲気などに対する「好き」、「尊い」、「憧れる」、「興奮する」、「眺めていたい」……それらすべてがフェチであると捉えています。

これです。 これたまに直球で投げなきゃ伝わらない人がいるんで敢えて個人的見解として直球投げますと、=性欲だけではないってことです。

性癖

性質上のかたより。くせ。

デジタル大辞林より引用。≠性的嗜好であることが非常に重要です。

エロス
フロイトの用語。性本能・自己保存本能を含む生の本能
タナトス

フロイト精神分析用語で、死の本能、死の衝動。

エロス、タナトスともに大辞林より引用

チョコモナカジャンボ

コンビニの什器の中程よりちょっと上くらいのがパリパリであることが多い。

 

フェチは「人間」との性交渉を必要とするか

以前弊社代表のヒンメリ氏が早稲田あかね様にトークゲストとしてお呼ばれしまして、どさくさに紛れて同行させていただきました。

めっっっっっちゃ失礼ではありますが、店舗は早稲田領域!お店のお名前からも早稲田現役生OR卒業生の巣窟と思われる!つまりド偏見からしめっちゃエロ好きそうと思いながら行ったのですが、私の想像していたエロへの関心が80%とすると、あの場でお会いした方々のエロへの関心は120%でした。

もう何かにつけて2番目にはセックスへの関連性の考察。衝撃でした。なにが衝撃って、あの場で出会った方へのエロ・生への積極性ではなく、確かに私も重力に垂れる乳とかフェチいくてシコくて大好きですけど、私の持つフェチズムは全て生死なんていう概念がなかったという事実です。

それ以前に特殊性癖自体、種の保存に積極的かどうか?という課題があり、それが「人間」が対象であり「性的興奮」を伴うのであればそうなのでしょう。

ところが私の身体に対するフェチの一部例をざっとあげますと

手首、手のひらの関節や指、骨、足首・くるぶし、腰、細身、脹脛、横顔、足の甲、血管、欠損、骨盤、鎖骨、眼球、臓器まあキリがないんですけど、このどれもをフェチく感じる時、それは「その人間」がどうとかではなく私はその「パーツ」を第一に美しいものとしてみていたんです。

 

死に焦がれるエロス

つまり種の保存なんかほったらかしてフェチいものを芸術作品のように眺めているのです。

同時に、「エロい」とは思わないものの「エロスである」とは思うのです。だって好みのそれらのパーツを見かけると生や憧れを強烈に感じますから。でもその対象は究極的には「生」から切り離して評価されている。

つまりシコいに直結しないフェチはタナトスに想い焦がれるエロスという側面を持ち合わせているのです。少なくとも私の中では。あなたのなかではどうでしょう。

 

フェチズムとアートとスキ

先ほどフェチいものを芸術作品のように愛でている、と述べましたが

美の追求において、ひいては一個人の感情において倫理というポリコネ棍棒で殴られる必要があるのかどうかも語らせていただきたいのです。

私の結論からいうと特定の誰かに向けた自己のフェチズム欲求を満たす時、倫理観は必要でしょう。でも誰に向けるでもない美や尊さや憧れへの好きといった感情は、他人からどうこういわれる筋合いのものではないと思っています。

私はパクチー口に含むと食べる直前まで気づいていなかったとしても吐き戻す程度に食べられないのですが、それを咎められる道理はなく、同時にチョコモナカジャンボで同じ現象を起こす人を揶揄も非難もする理由がありません。

大枠の美術といった分野にまったく関心のなかった(あるいは小児教育においてクソみたいな美術教育を受けてしまった)人がよく「アートとかよくわからない」と言いますが、芸術作品との向き合いは自分が好きと思うかそうでないかだけで十分です。他人の気持ちなんてわかるわけないじゃん。

フェチズムも同じだと思っていて、自分が好きだと思うなら堂々としていればいいと思います。パクチー食えることも食えないことも全く恥ずかしいことじゃないんですから。むしろ生きている上で好きと思えるものが一つでもあるって、その分自分の人生が潤うわけですからめっちゃおトクじゃないですか?

さらにいうと、「スキ」ってアピールしていると厚意のある誰かから供給が届きます。

 

というわけで恥ずかしくないよ!フェチはアピールしていきましょうね!

 

総括

チョコモナカジャンボがすきです。でもペンギンの方がもっとすきです。雪見だいふく食べたい。

モルモットとマウスと臨床試験の誰かの上で女の子をする

LUSHがすきだ。

私はアトピー性皮膚炎で、たくさんのモルモットやマウスやブタや名も知らない誰かほか多数のおかげで、女の子の肌のフリができている。だからLUSH動物実験反対運動には賛同できないが、LUSHの製品を使い続けて10年近く経つ。


ドラッグストアに並ぶ、可愛らしいパッケージで、いかにも可愛らしい女の子の匂いのするシャンプーやボディーソープが羨ましかった。

中学や高校の周りの女子が色気づいてくる頃、クラスメイトがすれ違いざまに振りまく甘い匂いのするボディケア製品は、得てして3日も使えば発疹が出るだの肌が乾燥してめくれるだのするものであった。

時代が進めば…なんて期待をして大学の一年のころにジプシーを試みたが、憧れの女の子とやらになれないことを突きつけられるだけだった。


アトピービジネスが氾濫するネットの海の中で、どうにか縋りつけた木片は固形石鹸だった。

石鹸素地こそが神であると牛乳石鹸やらオリーブ石鹸やらを何種類か用意しておく。どれかを使い続けていくと数日マシな日があって、そのうち発疹が出る。そうなればもう使い続けると荒れる一方なので、別の石鹸に切り替えて誤魔化す。これをループする。


敏感肌向けを謳う製品は、学生が買うにはあまりにも高くて、薬草のにおいがする。

その中から、ネットで「アトピーにオススメ」と名高いものをお賽銭のように買ったこともある。あいにくウリの尿素が合わなかったのか酷い目にあって以来、試供品のミニサイズの尊さを知った。


高校生のころだったか、ショッピングモールでTHE BODY SHOPの存在を知った。

とても可愛いパッケージ、みずみずしくおしゃれな香り。

あれを女友達ときゃっきゃしながら選べたら、どれだけ楽しい人生なんだろう。

ドラッグストアに並ぶものより高価で芳しきそれらは、同時により一層高い、健常な肌でなきゃ享受できない嗜好に思えた。

女の子という生き物から強く隔絶されて、あちら側の世界にいる人たちが羨ましくてたまらなかった。


大学一年のころ、小学生時代の友人からLUSHに行きたいからついてこいというメールがきた。

腐女子である彼女はどこかしらのネットの界隈から知ったらしいゲイ御用達のお店であること、果物や野菜や花といったものを「キッチン」で調理される商品のこと、その商品名とポエムがウケることを売り文句に私に同行せよと要請したのであった。

ざっくりLUSHとやらを調べた私は、ああ、普通を持って生まれられた人たちの使うものなのね、と他人事に思いながら、下宿先から地元に下って、竹馬の友の買い物に付き添うことにした。


初めて足を踏み入れた地元にあるとある店舗のそこは、ショッピングモールの一角で明らかに濃い世界と濃い匂いを放っていた。

あまり好きな匂いとも思えなかったが、全般的におしゃれな製品デザインに、またしても女の子がかわいくあるために選べる選択肢が私の目の前にはないことを僻んだ。

店員はキョロキョロとはしゃぐ我々にすぐにとびついた。

初めて来たとつげるなり、あれよあれよと片手をスクラブマッサージされた友人は、もう一方の片手と見比べて、白くなった!お前もやってもらえよ!なんて言う。

私にその切符はないのだ…と投げ出すより強い好奇心と店員の笑顔に促されて右手を貸すと、確かに肌はさらさらと明るくなった。

でもこの手をすぐに保湿しなければ乾燥してしまう。いまは一瞬だけ女の子を体験できて浮かれていたけれど、なんて迂闊なことをしてしまったんだろう。

どんな商品をお望みですか?と我々2人に問う同じ店員に、私アトピーなので…とおじおじ告げると、店員はあー…というようなバツの悪い表情をして、そのあとは友人にだけ話しかけるようになった。

下手に期待して傷つくよりは、いるべき場所に帰ったほうがよい。

友人が何点かの商品の会計を済ませるのを待って、家路に着いた。

右手は、特に乾燥しなかった。


数ヶ月経って、あのスクラブが忘れられなかった。

乾燥もしない、肌のトーンが明るくなる、ちょっといい匂いがする。憧れの、普通の女の子が使うもの、を私も使えるのかも知れない。

私は下宿がある京都市内のLUSHを探し、店舗に乗り込んだ。

LUSHでは目的なさげな客はすぐさま店員に捕獲される。

乾燥がひどくて…アトピーなんですけど…身体を洗えるものがほしくて…と場違いを恐れながら最初に懺悔すると、その店員は最初のニコニコした顔色を全く変えずに、そういうことであれば、と私をシャワージェルコーナーへ引き連れて、これなんかは保湿性が一番高くて、匂いもラベンダーと蜂蜜で良くて、と熱心に商品のことを教えてくれた。

私はアトピーであると告白した瞬間からその以降も全く変わらず客として扱われたことに大変驚いて、試しに手を洗ってもらった。固形石鹸よりも洗い上がりがキシキシせず、おしゃれな人からする匂いがした。蝶々夫人という名前のシャワージェルだった。

その後もしばらく店中の商品を教えてもらって周ったが、いっこうに手は白く粉をふいてこない。

私は蝶々夫人の中サイズのボトルを買って帰った。使い終わるまで一日たりとも、発疹が出ることはなかった。生まれて初めて、女の子であることを許された気がした。


蝶々夫人の2ボトルめは違う店舗に買いに行った。

ここではアトピーであるといっても存在を拒絶されない。そう期待して、私を迎えいれた店員に病気を告げると、店員は驚いて、全くそうは見えないからわからなかった!実は私もアトピーなんですよ!と肘の内側の色素沈着を私に見せた。

全くそうは見えない、はステロイドのおかげによるものだが、同じ病を持つ店員は身の上からかとても親身になって商品の使用感を教えてくれた。何でも店に並ぶすべての商品を試したらしい。おすすめのものはもちろん、乾燥したり荒れたりしたものについても等しく率直に話してくれた。それが店員の務めなのか、彼女の判断なのかはわからないが、その行為と態度から私はすっかりLUSHのファンになった。


蝶々夫人が廃盤になるまで、身体を洗うことによる発疹というものに無縁になった。

今はみつばちマーチを使い続けている。

みつばちマーチは固形ソープで乾燥してしまったので、シャワージェルの中で一番、保湿性が高いというが果たして…という不安が当初あったものの、蝶々夫人ほど肌に合うわけではないが発疹はでない。


今日はみつばちマーチの匂いの髪に飽きてきて、都内の店舗に相談に行った。

シャンプー類に詳しいというその店員さんは、やはりアトピーと知っても何とも思わない様子で、保湿で選ぶならハニ髪、でもシャンプーバーもいいですよ!ロウィーナバードの匂いいいですよね私も好き!でも髪を染めたりします?私は染めてるんですけどちょっときしんじゃうですよ、あ、これとこれはあなたには勧めません。サッパリ系なので。とやはり良いも悪いもすべて白黒つけて教えてくれた。

みつばちマーチだと軋むので、でもコンディショナーとかは日頃使ってない、という私に隣に並ぶコンディショナーを勧めることなく、その店員さんがこれは指通りがよい、と挙げた中から一番好きな匂いのものを買った。

早速使ってみたが、指通りは確かにみつばちマーチより良く柔らかく、匂いもとてもよい。


すべての思想は合致しないけれど、とても安心して相談できる接客と、安心して使い続けられる憧れをもたらしてくれるLUSHの商品を私は今後も選び続けるだろう。