めにょーん

ペンギンなりに色々考えてみる

30歳になるとなにか聞き分けがつくのか

結婚観を聞かれることが数件あったので自分の話します。

冬が始まるまでは20代ですけど、少しフライングして、大人なんてクソだという歳下の方達にクソバイスをするならば20代になっても30を迎えても周りの目線も価値観も大概クソです。当たり前だろう、人類が何人いると思ってんだ?全人類に嫌われることも好かれることも、おおよそ1人の人間のちからには手に余る。そんなことならクソなんかのこと考えて消耗するより手の届く範囲の好きな人間たちと自分が幸せにいることに費やした方がいい。

 

私はいわゆる虐待サバイバーであり、とはいえ当事者的に殴られたり嬲られたり詰られたりしたわけではなく、家庭内の決してよろしくない圧政を見てきたことにより外への抑圧をもってしまった「虐待行為を見せる虐待」のサバイバーである。とはいえ100点のテストを持って帰ったら教師の採点ミスで98だったのを100に修正したことについてのやっかみが返ってくるといったとてもありがちなシナリオも経験している。が、そんなことよりも家の壁やらふすまが壊れたり、兄やら母やらがボコられているほうがよっぽど精神的ダメージがあったのであった。

もっとも、他人を信じるだとかは難題になったものの、アダルトチルドレン的な俯瞰をしていた私は、父にも母にも複雑な事情はあって、彼らを育てた祖父祖母の幼少時代には戦争があって、誰もが人間である以上仕方のないことなのだと思っていたし、あまつさえ土地がスラム治安だったこともあって、どこの家も家族がキレて暴れるくらいあるだろうと思っていた。

 

今後の婚活に関わるのでここだけははっきりさせておくが、発達心理学という学問において、人間の心理というのは死ぬまで発達段階を辿る。その年齢相応の課題があって、悩みがある。いわゆる中二病なんかも雑にそういうものだといえるし、30代くらいから突然20代の若者に先輩風を吹かせるのも、老人が自分の考えをなかなか曲げないのも、発達上そういうもんなのである。

その例に漏れず、父親はとっくの昔に丸くなっている。父親が昭和価値観で親父の威厳たるものを履き違えていたことも知っている。母親はいまだに私を動くコンテンツ人形と思っているのではないか、とおもう節がなくもないが、恐らく私と同等かそれ以上に放任主義なだけなのであろうし、家族に対して私自身はなんのわだかまりもない。むしろ私含めうちの家族は、身内以外に関して本当に無邪気で好意的に歓迎する。本気で見返りを求めていないアホほどのお人好しである。ただし私、父、兄、亡き祖父は人見知りオプションつきではあるが。つまり私が良い人です!と連れていくと祖母と母にめちゃくちゃモフられる。

 

そのような事情のもとで、幼少の私はなぜ父が覇権を持っているのかを考えた。末っ子で唯一の娘である私が最強だと思っていたのに、どうもそうではないのはなぜか。家計を支えているからだろうか。父が母よりいくつか歳上だからだろうか。おそらくそれらはあたらからずも遠からず、他人と他人のパワーバランスに不均衡を招き、好ましくないヒエラルキーを形成しかねないものなのである。

 

これまでの半生で、幾度か友人に「頼ってよ」と叱られる場面があった。いまでは反省して、貸し借りを気にしないような、あるいは頼り頼られ互いにまあトントンでしょ、よしんばトントンじゃなかったとしてもまあお前のこと大好きだから別に損したとか思わないしお前が幸せならいいよ、と本気で言い合える友人に関しては何かしら頼ったりはする。しかしそもそものスタートで他人を頼ることについて、相手が信頼に足らないからであるとか、貸し借りが発生することがしんどいと思うところがある。

ちなみに「私はこれだけしてやったのに、お前は返してくれないよな」って言われたこともあるし、他の人になにかしてもらったときに「今度別の形で返して」って言われると覚えておかなきゃ、失敗するわけにはいかない、のようなプレッシャーを感じてしまう。

 

前述の通り、うちの家系は自分が施したくて施すのであって礼やお返しを貰おうだの感謝してもらおうだのの発想がまるっきりないので、なんとなくそれが蔓延している社会だったらよかったのだが、世話になったら自分の気持ちがどうであれ相手にお礼を返さなければならないのが通念である。もーーーぶっちゃけめちゃくちゃめんどくさい。そういう返してっていう系は正直覚えてられないかもだし、相手にとっての正解を返せる自信もない。だから自分のこと自分でやるし、見返りが必要な感じなら尚更助けとかいらないんでほっといてほしい。

蛇足であるが、このアホなお人好しを食い潰しにかかる人間も世の中にはいることを学んでしまった。依然として施したくて施すが、それを当然のこととしてあぐらをかかれると腹が立つのであった。

 

そういうわけで社会通念的な支え合いなるもので力関係が構成されるような家庭はしんどいのかもなと思っている。お互いがお互いに合理的で対等かつ独立的な共存関係をもって、相手のためになんかしたいからするくらいの純粋な愛を与えたいくらいである。

それは家計をどちらかが多く負担するだとか、年齢の上下だとか、そんなくだらないことでどちらかがどちらかにマウント取るようなのは嫌だなという意味だ。2人共に関わる金銭は折半したいが、それ以外の自分のことは自分の稼いだ金で好きなようにやりたいしやってほしい。とはいえ相手のほうがより多く水を消費しているだのとか電気を使っているだのとか細かいことは気にならない。相手が結婚したいとおもう程度の人間であれば。

自分の稼いだお金で自分の好きなことやればいいじゃない、というのはもちろん1人でふらっと旅行に行くことも、友達と遊ぶことも、同人誌刷ることも、ガチャを回すことも自由でしょ、ということである。流石に他所に子どもをこさえてくるようなことはまずいが、そこは独身同様に人様に実害を与えてはならないことなど言うまでもないことである。あ、ちなみに私はAVもエロ本も勝手にすればいい派で、むしろ相手がいながら風俗を使わないのであればかなり良心的な人であるとすら思う。その実風俗自体も犯罪の抑止力であって労働者のことを英雄と思っている。素人に対して浮気や不倫するよりいいじゃんね。

家事についても大概の場合において私が埃で死ねるタイプなので私がやりたくて勝手にやるし、私が自分の部屋勝手に掃除されたら嫌なので、その範囲は自室と共有部分だけだ。というか同棲したことがあるが実際そうしていた。

余談だが同棲が終わった後に同性の同僚と一時的にルームシェアをしたが、金銭感覚と衛生観念と倫理観が見事に180度違い、耐えかねてギブアップした。私には私が納税したことで得られた返礼品を無償で提供されて然るべきと思える発想が理解できないし、私の私物のいい値段のする金属製調理器具を塩素系漂白剤のつけおき容器にしていいと思う発想がないし、洗面台をフェイスタオルで拭いて普通の洗濯と一緒に洗うってのもよくわからなかった。もしかしたら旧くからの親友なら許してたかもしれないが、生活があまりに違うと流石に一緒にいるのが難しいと知った。まあそれでも一緒にアニメみたりとか楽しいこともあった。

 

ここまでくると1人で生きた方がいいのでは?という気がするが、それでも誰かと家族になりたいのは、ただいまやおかえりいってきますとかの挨拶が返ってくるのがやはり良いし、その日あった面白いこととかどうでもいいこととかをお互い気が向いていれば話したいし、アニメもドラマもバラエティも一緒にあーだこーだいいながら見るのが楽しいし、ごはんも人のために作ったものはちゃんとしたものになって割と美味しく、当然人に作ってもらうごはんは尚更美味しいし、胃腸炎にかかって死にそうなときに最悪ヘルプを出せる相手が身近にいるのは心強いし、結婚というペアを組むことでオトクになる行政サービスもあるし、相手か自分のどちらかが恐らくは最期を見送れるからである。

 

なおこどもを産む意思の有無については、産む人生と産まない人生どっちでもいいが子ども自体は専門分野である程度には大好きだし人生の責任を1人でも負う覚悟も知識もある。持っててよかったね保育資格と実務経験🤗

 

おおむねそんなところで、また何か聞かれるようなことがあれば何か書くかも知れない

 

追記

冒頭に大体の周りの目線ってのはクソだよって書いた流れを繋げるのを忘れていたが、クソだと思っても当人にクソだな!と言うのはよろしくない。これは保育士してたときにもこどもの喧嘩の仲裁で都度都度教えてきたことであるが、世の中わかり合えない苦手な人間はいるものの、苦手だなって思う感情は大事に、それとは別になんとなくうまくやっていくのが人間の知恵や社会性というべきモノである。

したがって、パワーバランスが平坦な家庭が理想といったが、お外に出ればTPOにあわせて相手を立てるくらいは普通にやる。なんというか、これは昭和文化な気がするが、祖母が当たり前にこなしていたことなので普通に習得した。必要とあればペンギンから猫の皮に切り替えられるのである。

 

あと先にチラッと書いたが、うちの家族は全員基本は放任スタンスである。どれくらい放任かというとたまたま実家に帰ったタイミングの先週に兄が結婚していたことを知ったし、その実家に帰ったときに母親から翌月甥が生まれることを聞いた。めっちゃ笑った。これは長いこと一緒に暮らしてきたからわかるニュアンスであるが、身内がどうでもいいんじゃなくて、どっかで元気にやってるならそれでいいのである。義姉は丁寧な人だから、もしかすると母に育児日記的にシェアしているかもしれないが、兄はほぼ間違いなく自発的に身内の誰にも近況を報告してないし、私自身もどっかでよしなにやってるならいいやって感じである。ちなみに私が高校生の頃、わりと友人たちと夜中にカラオケいったりチャリで県超えて散歩に行ったりして朝帰ってくるとかあったが特段怒られたことはない。どうでもいいのか信頼してるからなのかはわからないが、痴呆の始まった祖父がチャリで出かけて行方不明なり、翌日くらいに兵庫県を横断する距離の位置で見つかったときには安堵もあったがパワフルなポテンシャルに皆爆笑した。そういう感じのユルさなので私の先祖側の人間たちに対して何か責任を負うとかいう考えは不要であるし、そもそも先手で父親が自身と母親祖母含め老後をどうにかする準備を整え切っている。

一方で私は祖母の基本ワンオペ+近隣から群がってきたおばちゃん各位に育てられたようなもんなので、こどももだがわりと老人も好きだったりする。ていうか向こうから好かれる。カリスマ孫みがあるのかもしれない。ので結婚するくらいに受け入れられる相手の家族を私は当然受け入れられるのであるからして、全然懸念材料にしなくていいとおもう。

またまた余談だが、大学時代にバイト先で同じだった友人の実家にちょいちょい遊びにいったら友人のおかんに気に入られてうちの子になれば〜とかいわれたこともある。まあそれもありだった気がするなあ。